昭和13年、堺筋・平野町交差点から北を望む。市電1528号が手前を走り、左に沢の鶴ビル、右に三越、奥に野村ビルが見える。路上には自動車と自転車。
堺筋を考える
Sakaisuji Forum
堺筋 昭和13年(1938) 撮影:十代 生駒権七 全体を見る →
堺筋・平野町交差点から北を望む。左=沢の鶴ビル/右=三越(北浜)/奥=野村ビル。手前を走るのは市電1528号。
昭和13年は国家総動員法が公布された年であり、「大大阪」と呼ばれた時代が終わりに向かう年にあたる。 その年に撮られた堺筋の写真が、堺筋のこれからを論じるこのページの扉になっている。
G. IKOMA Archive 所蔵。台紙部分を除いてトリミングしたのみで、色調・回転などの画像加工は行っていません。撮影年・撮影者・撮影地点および建物の同定は所蔵者による。
ABOUT

堺筋という街路そのものを対象とした論考と検討資料を置いています。G. IKOMA Archive の所蔵資料とは別枠の取り組みです。

大大阪期に大阪のメインストリートであった堺筋は、御堂筋の建設によって主軸の座を譲り、1970年の大阪万博を機に北行き一方通行となりました。御堂筋が2037年の完全歩道化に向かういま、堺筋がどうあるべきかを、史料と一次資料に基づいて考えます。

DOCUMENTS
01 / 論考
堺筋を、御堂筋の
受け皿にしないために
大大阪という神話の解体と、軸の役割配分をめぐって。生駒伸夫(堺筋を考える会 会長)。2026年7月28日 第3版。
02 / 資料
論考資料
── 御堂筋・堺筋 検討資料一覧
御堂筋の完全歩道化計画および堺筋・船場地区に関する行政資料、学術論文、民間提言の目録。論考が依拠した資料の一覧。外部リンク101件。
03 / 図版
堺筋 写真資料
日本勧業銀行堺筋、高麗橋三越、平野町の街並みなど、堺筋に関する写真・図版のビュアー。
※ 論考および資料一覧に付した【事実】【引用】【推測】【提案】の区分は、記述の性格を明示するためのものです。数値・年号を引用される場合は、各文書末尾の出典から原典をご確認ください。