← FRAGMENT
有鄰之碑
G. IKOMA Archive · 断片をつなぐ記録と記憶
01  ·  表紙
有鄰之碑 表紙
有鄰之碑

有鄰之碑は、『家職要道』の著者・正司碩渓の遺族が、生駒時計店八代当主・権七の篤志に感じて建てた碑です。

三十歳の病床で『家職要道』に出会い、その教えを実践することで店の基盤を築いた八代権七は、約三十年後、著者の孫・正司敬次(佐賀県有田町)に礼状と置き時計を贈りました。さらに大正二年(1913)には明治天皇御聖徳を輯録した冊子と金百円を添えて、先生の祭奠の資に供しました。会ったことのない著者への謝意を遺族に届けたこの行いは佐賀日日新聞にも報じられ、感じ入った正司家が碑の建立を発願しました。

碑は大正三年(1914)一月、佐賀県有田町に建立されました。碑文は漢文体、撰文は醇庵・鈴木券。末尾には論語の一句「徳孤ならず、必ず郷あり」が刻まれています。

ここに収めたのは、その碑文の原稿と読み下しです。

02  ·  碑文原稿(漢文)
碑文原稿 後半 碑文原稿 前半
03  ·  読み下し
読み下し ③ 読み下し ② 読み下し ①
04  ·  書状と訪問
書状と置時計

明治40年(1907年頃)、八代権七が著者の孫・正司敬次氏に送った書状と置時計。正司家に現存。

有鄰之碑前での記念撮影

昭和60年(1985)10月、十一代一夫が佐賀有田の正司家を訪問。有鄰之碑の前にて。左:一夫、右:正司家当主。

八代権七が『家職要道』と出会ったのは、明治10年代前半のことと推算される。三十歳前後の病臥中に友人から贈られたこの書が、若き当主の精神的な支柱となり、時計・宝飾工芸商としての生駒時計店の礎を築く原動力となった。

それから約三十年後、八代権七は著者の孫・正司敬次(西松浦郡有田町)に二度にわたって謝意を伝えた。まず碩渓没後五十年頃(明治40年・1907年頃)、金若干と置き時計に由来を記した書状を添えて贈った。さらに大正二年(1913年)、明治天皇の御聖徳を輯録した冊子(書二百部)を正司家に贈り、金百円を添えて先生の祭奠の資に供した。